「発達障害を公表した 栗原 類さんが、新たな挑戦」
2017年1月14日放送のNEWS ZERO (ZERO CULTURE)で「発達障害を公表した栗原 類さんが新たな挑戦をしている」と取り上げられました。
最近ではよく耳にするようになった「発達障害(がい)」(私はこの障害という言葉が好きではありませんが)
この特性のために、周囲の理解を得られず、いじめに発展し、そこから不登校となる子どもたちが多くいるのも現状です。
この問題を抱える子達の多くは、幼児期から「なんで、みんなと同じようにできないの?」「なんで、ふつうにしないの?」と言われて育ちます。
では、「ふつう」って一体何でしょう?
価値観が変わると「ふつう」も変わる
ふつうの定義はなんでしょう?
広辞苑には「普通」とは、「広く一般に通ずること、どこにでも見受けられるようなもの、一般、並」とあります。
「ふつう」は数の論理でもありますね。
初めは少数だったものが、広く一般的になると、それは「ふつう」になります。
例えば、「ヤバイ」という言葉。
以前は危ない、不都合な状況を表す意味として使われていましたが、今は「すごい、カッコイイ、おいしい」など、否定・肯定と両方の意味で使われています。
30年前、「ヤバイ」が「カッコイイ」と同じ意味で使われると誰が想像したでしょう?
戦時中「お国のため」とみんなが命を捧げるのがあたりまえだった時代、終戦となり、それまで「軍人さん」として崇められていた人々は一瞬にして「戦犯」という犯罪者になったのです。
この話は極端ですが、このように価値観が変われば「ふつう」という概念も変わります。
ですから「ふつう」であることに縛られる必要はどこにもないのです。
大切なことは
私は在住している市の「不登校登校拒否を考える親の会」の発起人の一人でもありますが、親の会には様々な段階の悩みを抱えてらっしゃるお母さま方がいらっしゃいます。
そして、不登校となった子ども達の中には自傷行為(リストカット)やベランダから飛び降りようとしたり、「死にたい」と言う子も少なくありません。
親としてはどれだけショックな出来事でしょう。
そんな苦しみの中、お母さま達は「生きててくれるだけでいい。いてくれるだけで十分」とおっしゃいます。
究極、親はそこに行き着き、子どもの障がいを個性として受け入れ、また新たに子どもと一緒に、一歩を踏み出します。
例えば、
コミュニケーションがすごく苦手で、家族にもあまり自分の感情を出さない子が、母親が仕事で疲れきってうたた寝しているとき、そっとお布団をかけてくれる。
例えば、
家族がインフルエンザで寝込んで動けずにいるとき、頼んでいないのに、柔らかい食べられそうなものを買ってきてくれる。
そんな人として一番大切な部分(と私は思っています)が、ちゃんと育っていれば、その子は大丈夫なんじゃないかな、と思っています。
「みんな同じ」 から「個性」の時代へ
今、社会は、高度成長期時代に求められた、「平均的・画一的」な能力から、「個性」が求められる時代となりつつあります。
「ちょっと変わった人」と思われるような人でも、生きやすい時代に、ようやくなってきた(嬉しいことに)ということでしょう。
生きづらさを抱えてる人に「みんなと同じ」を求めるよりも、その特性を理解し、活躍できる場をみつけるサポートをすることが大切ではないでしょうか?
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